牛の首1

 「牛の首」という恐ろしい怪談がある。

 この話は江戸時代にはすでに知られていたようで、
 寛永年間に書かれた庶民の日記にすでにその名は出ている。
 とはいえ、そこに記されているのは「牛の首」という
 怪談の名前だけで、話の内容は
 「今日、牛の首という怪談を聞いたが、
 あまりにも恐ろしい話なのでここには書けない」
 として語られてはいないのだが。

 このように文献にはっきりとした形で残ることはなかった
 「牛の首」だが、その物語は口授で今日まで語り継がれている。

 だが、私はその話をここに記すつもりはない。
 あまりに恐ろしい話なので、思い出したくないのだ。
 その代わりに「牛の首」を知っている数少ない人物の
 一人の身に起きたエピソードを語ってみようと思う。

 その人物は小学校の教師である。
 彼は学校の遠足の時に、
 バスの中で怪談を子供たちに語り聞かせていた。

 普段は騒々しい子供たちも今日は真剣に彼の話に耳をそばだて、
 本気で怖がっている。

 これに気をよくした彼は、
 最後にとっておきの怪談である「牛の首」を披露することにした。

 彼は声を潜めると子供たちにこう言った。
 「これから話すのは『牛の首』という怪談だ。牛の首とは・・・」
 ところが、彼が話を始めた途端にバスの中に異変が起きる。
 子供たちが物語のあまりの恐ろしさに怯え、
 口々に「先生、もうその話しはやめて!」と訴えだしたのだ。

 ある子供は真っ青になりながら耳を塞ぎ、
 別の子供は大声を上げて泣き叫ぶ。
 ところが、それでも彼は話をやめようとしない。
 彼の目は虚ろで、まるで何かに取り付かれたかのようであった・・・

 しばらくするとバスが急に停止した。
 異変を感じて正気に戻った彼が運転席を見ると、
 バスの運転手が脂汗を流しながらぶるぶると震えている。
 おそらくこれ以上は運転を続けられないと思い
 車を止めたのであろう。

 さらに辺りを見まわすと、
 生徒たちは皆口から泡を吹いて失神していた。
 それ以来、彼が「牛の首」について何かを話す事はなかったという。


解説

・・・と勿体つけてはいますが、牛の首という怪談は存在しません。
どんな怪談だろう?どれくらい怖いんだろう?という人間の好奇心がこの怪談を成長させるのです。

「ねえ牛の首って怖い怪談知ってる?」
「何その話?教えてよ?」
「いや、俺には怖すぎて教えられないよ。」
「なんだよそれ?じゃあ他の人やネットで聞くからいいよ」
「ねえ、友達から聞いたんだけど牛の首って知ってる?・・・」

という流れでどんどん「とても怖いらしいが実体のない怪談」として広まっていったのです。

そもそもこの都市伝説の発祥は「牛の首」という小松左京さんの短編小説からきているとされています。
内容もほとんど同じで「牛の首」という怖い話があるのだが、誰も教えてくれないというものです。
しかし、まったくの創作・でたらめかと思われていた小松左京先生発祥説ですが、
小松先生いわく「SF出版界にはもともと牛の首という小話が存在しており、これを広めたのは筒井康隆である」とのことです。
出版業界から生まれた都市伝説であることは間違いないようです。

しかし、時がたつにつれて「牛の首」に内容が存在しないことにもどかしさを感じた人がいるのでしょうか、
「この話こそ本当の牛の首の全容である!」との話が発表されるようになりました。それについては「牛の首2」以降でお話したいと思います。