非常にまとまっていて、別のサイトや「牛の首2」を広めたと思われる方についても言及されており、
とても興味深いお話です。
(掲示板より、ブローカーさんありがとうございます。)
いきなり恐縮ですが、古狸の都市伝説マニア・ウォッチャーにとっては、正直、聞かされる度にいささかうんざりするネタ(w
この話は完全に創作話であり、民話や言い伝えの類ではありませんよ。
元ネタは、恐らく星野之宣「宗像教授伝奇考」第1集収載「贄の木」――
http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=07938829
更にそれより古いルーツとしては――
★「ネギをうえた人(ひと)」
http://www.alps.or.jp/match/shibai/negi/index.html
(↑「紙芝居」の絵をクリックすると、話が読めます)
尚、まだ実物を確認していないのですが、この話は岩波少年文庫・金素雲編「ネギをうえた人」という朝鮮民話集に収められているという情報もあります。
閉鎖された都市伝説の老舗サイト=「現代奇談」さんでは、あまりにもしょっちゅうこの話を持ち出しては「“牛の首”の元ネタ(真相?)を見つけました!」と掲示板で大騒ぎする方が後を絶たないため、コンテンツをわざわざ書き直して注意を促したほど。
もっとも、最近の方々の中にはサイトのコンテンツなどロクに読まず、だた掲示板で目立ちたいだけの人が多いためか、この後も注意を無視して同様の書き込みが定期的に続き、掲示板の常連たちを呆れさせていましたが……。
お父様の後輩の方が「大垣方面で実際にあった話」と仰ったそうですが、残念ながら創作話に「証拠(塚や史跡?)も残ってる」とは、ちょっと考えられません。事実なら、多分ネットの都市伝説系サイトがひっくり返るほどの大騒ぎになる大発見でしょうが。
また、これもまだ未読なのですが――
ハルキ文庫の小松左京ショートショート全集の一冊「午後のブリッジ」に収録されているインタビューに「牛の首」への言及があるとの事。
それによると、ミステリー界で何10年かごとに広まる話だそうで、実話・民話とかとは一切無関係。
但し「その話をしようとすると、何か突発事故のようなものが起きて相手に語り伝えられず、結局どういう話か分からない」系の話自体は昔から――知る限り江戸時代からあります。
「牛の首」とは、小松左京氏の短編小説であり、「元ネタ」などというものは存在しません。これは既に都市伝説マニア・ウォッチャーたちの間で議論し尽くされ、結論の出た問題と言えるでしょう。
ただ誤解のないように申し添えさせて頂きますが、この「牛の首(飢饉の村)」が、会社内など、ネット以外の一般社会――それも立派な社会人の方々の間にまで広まっているというのは、貴重な情報だと思います。
個人的には、この「牛の首(飢饉の村)」には、ちょっと複雑な感情を持っています。
この話を創作した人、実はベテランのネット都市伝説マニア・ウォッチャーの間では(口にこそ出しませんが)大体、見当がついています――勿論、あくまでも「推測」の域は出ませんが。
その方は、私にとってはネットを初めて間もない頃からの友人(会った事はありませんが)。
独特の語り口で綴られる話が面白く、怪しげな話を怪しげなまま、怪しげに語る“語り部”的な魅力がありました。
ただネットの都市伝説サイトは、資料・文献・掲示板での情報交換などによる「検証」を主体としたものになっています。
そうした中、伝承なのか創作なのかも不明確な話を掲示板に書き続ける姿勢は、次第にベテランの掲示板住人たちから疎まれ、いつの間にか都市伝説系サイトからは消えてしまいました。
今ではネットで出会う機会もありません。
しかし今「牛の首(飢饉の村)」が、これほど「真・牛の首」的に流布しているのを見ると、私ももう少し厳しい態度でこの話と向かい合うべきだったかも知れません。
最近、一部に「都市伝説を作ろう」とか、自分の創作を都市伝説に仕立て上げようという思惑が見られる中、この話は、謂わば最も成功?した“エセ・都市伝説”。この点は、しっかりと指摘しておく必要はあるでしょう。
勿論、創作した(と推測される)方は、このような事態を望まれるような方ではありません。
どうも上手く伝わらないかも知れませんが、いずれにしろ、今度も「牛の首」が話題に挙がる度、この「牛の首(飢饉の村)」問題が取り沙汰されることは確かでしょう。
その都度、かつての友人の“批判”をしなければならないのは、やはり辛いものがあります。
やや個人的な書き込みで申し訳ない。軽く読み流してスル~して下さい。
解説
この投稿の後に「牛の首1」の解説で言ったように筒井康隆先生が発生源かもしれないと分かりましたので、
この時点では「小松左京先生が単独で作られたもの」として牛の首が語られています。
この時点では「小松左京先生が単独で作られたもの」として牛の首が語られています。