ここに有名な平将門公の首塚がある。
この首塚は935年に始まった平将門の乱において戦死した将門公の首が眠っているといわれる。
将門公の首は見せしめとして京都へ運ばれそこで晒されることになった。
ある日の夜自分の体を探すため首が京都を飛び立ち東へ東へと飛び続け、
落ちた場所がこの首塚だと言われている。
平将門公は菅原道真公、崇徳上皇と並んで日本の三大怨霊とされている。
そしてこの首塚を壊そうとするものには恐ろしいたたりがあるという。
1923年、関東大震災で大蔵省が全焼し、首塚も被害を受けた。
丁度良いということでこの首塚を壊して仮の庁舎を建設した。
すると時の大蔵大臣の早速整爾氏をはじめ大蔵省ならびに工事関係者10名余りが亡くなったのです。
そのためになんと庁舎は壊されて鎮魂祭が行われたのです。
しかしこれでも将門公の機嫌は直らなかったのか1940年の6月、突然の雷が大蔵省本庁を襲い炎上したのです。
そして1945年、GHQがここに駐車場を作ろうとしたときにブルドーザーが転倒し作業員が死亡、
関係者がマッカーサー元帥に陳情し首塚は残ったのです。
解説
先日、東京に行く機会がありましたので将門公の首塚に足を運びました。
所在地は大手町ですが、交番で道を聞いて東京駅から10分ほど歩いて到着しました。
午後8時過ぎというかなり遅い時間でしたが、周りの高層ビルからの明かりでぼんやりと浮かぶ将門公の首塚は幻想的でありました。
境内自体は狭かったですがここだけ木が数本生えていて、境内に入るとなんだか違う世界にやってきたような感覚を覚えました。
私がデジカメをバッグから取り出してうろちょろしていると、30代とみられるOLさんが境内にやってきて首塚に手を合わせていました。
何をお祈りしていたのでしょうか?まさか縁結び?
私も手を合わせて「こんな私ですが、どうかお守りくださいませ」と拝んできました。
暗かったのでフラッシュを炊こうかと思いましたが、なんだか失礼な気がしたのでフラッシュは使わず、
それに首塚を正面から撮るのはよくないと聞いたので「ななめから失礼します」とつぶやいて撮影をしました。
都会のエアポケットのようなこの空間がいつまでもあってほしいなあと思いました。