童謡「一ねんせいになったら」の噂です。
一ねんせいになったら」という曲がある。この歌にとある噂がある。
一ねんせいに なったら
一ねんせいに なったら
ともだち ひゃくにん できるかな
ひゃくにんで たべたいな
ふじさんの うえで おにぎりを
ぱっくん ぱっくん ぱっくんと
友達が百人いるのに、百人で富士山の上でおにぎりを食べる。人数が一人足りない。
この歌が流行りだしたのは戦時中である。
疎開先で子ども達は食べるものが無く、空腹は限界だった。
その中に1人、足が悪い子どもがいた。
どうせ日本の役にたたないと判断した子ども達は足の悪い子を殺し、その肉を食べ飢えを凌いだ。
しかし、子ども達は人肉の味に感動した。
子供たちは美味しいもの=おにぎりとしか知らなかった為、この人肉にもおにぎりと命名した。
おにぎりの美味しさを感動した子ども達はこの曲を作って残したという。
一ねんせいに なったら
一ねんせいに なったら
ともだち ひゃくにん できるかな
ひゃくにんで たべたいな
ふじさんの うえで おにぎりを
ぱっくん ぱっくん ぱっくんと
解説
(同じく掲示板より。斉宮さん、ありがとうございます。)
とーるさんへ
誰でも一度は歌った事のある有名な童謡ですよね。自分は「まさか?!」と思いネットでちょいと調べたんですが
この曲の区分は「戦後~現代」となっていました。(自分も何年に作られたのか、までは解りませんでした、すみません;)
次にこの曲の作詞者である、「まど・みちお」は1909年生まれなので戦時中(1941~1945)にこの詞を作る事は可能ですが作曲者である「山本直純」は1932年生まれなので戦中はまだ、9歳から13(4)歳ということでこの曲を作曲するのは非常に難しいと思われます。(年齢的な理由で)略歴にも「大学在学中から~」とあるので活動したのは早くても18、9歳からだとは思うのですが・・・
確かに歌詞は矛盾してますよね。改めて見れば・・・(苦笑
その矛盾から生まれた都市伝説(噂)なのでしょうか。
ありがとうございました。
とても興味深いお話でした。
それにしても最後の1人はどこへ行ったのでしょうね。
とーるさんへ
誰でも一度は歌った事のある有名な童謡ですよね。自分は「まさか?!」と思いネットでちょいと調べたんですが
この曲の区分は「戦後~現代」となっていました。(自分も何年に作られたのか、までは解りませんでした、すみません;)
次にこの曲の作詞者である、「まど・みちお」は1909年生まれなので戦時中(1941~1945)にこの詞を作る事は可能ですが作曲者である「山本直純」は1932年生まれなので戦中はまだ、9歳から13(4)歳ということでこの曲を作曲するのは非常に難しいと思われます。(年齢的な理由で)略歴にも「大学在学中から~」とあるので活動したのは早くても18、9歳からだとは思うのですが・・・
確かに歌詞は矛盾してますよね。改めて見れば・・・(苦笑
その矛盾から生まれた都市伝説(噂)なのでしょうか。
ありがとうございました。
とても興味深いお話でした。
それにしても最後の1人はどこへ行ったのでしょうね。