プロ野球においては生半可な成績での取得は不可能で、永久欠番のないチームも多い。
300勝以上した多くの選手にも、3000本安打した選手にも与えられいない事がハードルの高さを伺わせる。
日本で最初の永久欠番は伝説の名投手沢村栄治。
快速球を武器に日本プロ野球黎明期を支えた大投手である。永久欠番も文句のなしといったところだ。
しかし、2番目ともなるとその知名度はがくっと下がる。
その選手の名前は黒沢俊夫。もちろん俳優ではない。
この選手、よほどの野球マニア以外は知らない名前だろう。
通算本塁打はわずかに7本。しかも現役中に亡くなってしまった。
戦時中にクリーンナップを打ったそうだが、やはり沢村栄治からすると格としては何枚か劣ってしまう。
そんな彼が永久欠番になったのにはある理由がある。
ある日、巨人軍の選手たちが練習しようとするとグラウンドに亡くなったはずの黒沢俊夫さんがいる。
そんな彼の幽霊を見た選手が何人も現れたのだ。
亡くなってまで野球をしたいと願う黒沢さんの心に打たれた関係者は、日本プロ野球史上2人目の永久欠番を贈ったという。
解説
黒沢さんの背番号は4で、あまり演技の良い数字でないこともこの噂を後押しする一因になっているかもしれません。
上でも少し書きましたが、黒沢さんが活躍されたのは戦時中のことで、巨人の主だった選手たちが召集された中で打線の中核として気を吐きました。
通算本塁打が7本というのも粗悪なボールとバットの時代を考えれば立派な成績だといえます。
トレードで巨人にやってきたにも関わらず、亡くなるときには「巨人のユニフォームで葬って欲しい」と言う言葉を残し、それが球団代表の心を打ち永久欠番になったようであります。
黒沢さんは呪われた番号や幽霊というイメージとは真逆、真摯にチームを愛した名選手だったといえるでしょう。